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プロフィール

MK

Author:MK
自称:ナチュラリスト
一年中、野山を彷徨うのが主な活動。
2005年1月突然、『拡張型心筋症』を発病。
現在リハビリ中、従来の活動は著しく制限される。
いい歳して、40年以上yumingを聴いている。
その他、ハイドンからショスタコービチあたりまでの
弦楽四重奏曲が好き。
コーヒー依存症?
メール:azumaitige@gmail.com


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今日も昨日に引き続きNPOボランティア研究集会絡みです。

先ず、レジュメの第1ページから御覧ください。
私が経験した甲府市での昭和30から40年頃にかけての生活のようすを紹介しています。

まず昔のお話を少しだけしましょう。
私が育った昭和30年代のお話。
ほぼ甲府市中心部と言っても良いでしょうね。
町内には、酒屋さん、八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん等がありました。
少し離れた所にパン屋さん、豆腐屋さん等が毎日パンを焼いたり、豆腐を作っていました。
我が家はそれ程裕福では無かったので、調味料なども必要なときに必要なだけ買いに行きました。
酒屋さんでは、ソース、醤油、味噌、勿論お酒もそれぞれ専用の空き瓶を持って量り売りで買いました。
酒屋さんのテーブルでは、オトナの人たちが良くお酒を呑んでいた事をよく覚えています。
ソースや醤油とお酒の匂いが混ざり合い、今思うと何か懐かしい匂いでしたね。
豆腐は豆腐屋さんが毎日リヤカーで売りに来ました。
お鍋やボールに入れてもらい、油揚げも古新聞紙に包んでもらっていましたよ。
卵は近所の卵屋さんから必要なだけ買いました。
魚屋さんの御用聞きの若い衆が毎日寄り、その日の注文や目玉商品の説明をしていました。
冷蔵庫が我が家に来たのは昭和40年代に入ってからの事でしたから、それまで生鮮食品は、上記のように必要なだけ、最低限の量を買うだけでした。
テレビを買ったのは昭和38年頃だったと思います。
今では誰も信じないでしょうが、午後2:00頃から同4:00頃まで放送をお休みしていましたし、午前0:00某国営放送局が日の丸の旗がはためく画像を流して終了し6:00に再び国旗がはためいて朝のニュースといった按配。
でも,誰一人文句を言う人は居ませんでした。
中学生の頃の帰り道、パン屋さんで焼きたてのコッペパンを買い、肉屋さんで揚げたてのコロッケを買い、それをパンに挟み、歩きながら食べたのは最高の贅沢だったんでしょうね。
飲料水も当時、水道の蛇口に口を付けて直接飲んでいました。
それが普通だったんですよ。
今のように、清涼飲料水、ましてやペットボトル入りお茶、そして究極とも言えるミネラルウォーターに至っては、夢にも見なかったと思います。
高度経済成長と伴に、何か忘れてきてしまった私達、もう一度現在の生活を見直して見ませんか。
勿論現在の便利な暮らしを否定するつもりは毛頭ありません。
私だって今の生活の方が楽に決まってますからね。
でも、いくら何でもここまでは?………と云う事もありますよ。多分きっとね!

こんな生活も東京オリンピックが開催された1964年頃からガラッと変わって来ました。
スーパーマーケットと云うお店が歩いて20分程の距離に開店したのです。
それまで町内で間に合っていた買い物も少しずつ、そんなスーパーでの買い物に変わって行きました。
自家用車など有りませんでしたから、もっぱら徒歩或いは自転車での買い物ですから、今まで同様まだまだ御近所の商店街は元気でした。
懐かしいというより、やっぱり今の生活の方が便利ですし、ましてや環境問題なんて考える余裕すら無かったんでしょうね。
でも、こうやって昔を思い出し、何か環境保護に役に立つことはないだろうかと考えています。



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