プロフィール

MK

Author:MK
自称:ナチュラリスト
一年中、野山を彷徨うのが主な活動。
2005年1月突然、『拡張型心筋症』を発病。
現在リハビリ中、従来の活動は著しく制限される。
いい歳して、40年以上yumingを聴いている。
その他、ハイドンからショスタコービチあたりまでの
弦楽四重奏曲が好き。
コーヒー依存症?
メール:azumaitige@gmail.com


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あの日

6年前のあの日、勤務先の事務所は午後の休み時間が近づく頃。
体がゆっくり左右に揺れ始めました。
地震???だと気が付いたのは、その時。
『社長が早くここから出ろ!』と一喝し、訓練通りライトキャップ(軽ヘルメット)を被り安全そうな屋外へ出ました。
なにせ当時仕事をしていた事務所は、半世紀ほど前に当時工事を行っていた、この事業所を建設した会社の飯場の名残。
それに手を入れて、いまだに総務部と営業部の事務所として使っていると云った、危なそうな木造平屋の建物。
相変わらずゆっくりとした揺れが長く続き、初期微動から本震までの時間が長かったこともあり、何処か遠くで大きな地震が起こった事を予想しました。
3:00の休み時間もライトキャップを被ったままで過ごし、テレビニュースではリアルタイムで、押し寄せる津波の画像。
タンクローリーが波にさらわれて行く姿は、でパニック映画の画像のよう。
電話は全て繋がらず、出張に出ている従業員との連絡も付きません。
そして、暫くして停電。
何かの景品としておいて有った、皆が馬鹿にしていた手回し式発電機が付いたラジオが唯一の情報源。
津波の被害、その後の余震、悲惨な状況ばかりが伝わってきます。
早めに仕事を切り上げて、いつもより悲惨な渋滞の中ヤット帰宅できました。
拙宅付近では、停電も1時間程だったようですが、近隣市町村では、丸二日以上停電が続いた地域もあったとか。
そして、福一の悲劇が伝わったのはその後・・・・・。
燃料不足、そして計画停電。
幸い、拙宅のある付近は、その後どう云うわけか一度も計画停電の対象地区になっていても停電しませんでした。
しかし、勤務先は計画停電で大変だったことを覚えています。
6年の歳月も今にして思えば、とても短かったように思えます。
また何時大地震が起きても不思議では無い本邦。
ましてやフォッサマグナの直ぐ縁にある拙宅など、どうなりますやら。
取り敢えず、地震保険には入っていますが。
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