7年前と云えば、一番上の孫がまだママのお腹の中にいた頃。
退職した今もアルバイトで勤めている会社の就業時間中の出来事。
3時の休憩時間まで間があった時刻だったと思います。
突然ゆっくりとした大きな横揺れに襲われ、社長の命令一過、ヘルメットを被り安普請の事務所から屋外に退避。
そして停電。
それまで笑い物とされていた、手回し発電式ラジオが活躍する事があろうとは、誰も思ってみなかった事。
その時は、まだ被害が実感できずにおりましたが、県内でも地域によって停電が長引くと共に復旧後は、テレビが伝える津波の映像がまるでパニック映画のワンシーンのように思えました。
その後判明した福一の事故と共に仕組まれた?計画停電。
勤務先は計画停電が行われ大変でしたが、拙宅付近は何らかの配慮があったためか、一度も停電しませんでした。
未だ早朝や夜間は冷え込むため、暖房が欠かせませんが、当時は石油ストーブで暖房していた拙宅は、灯油の確保さえしていれば、全く問題ありませんでした。
オール電化・・・この言葉は、それ以前から原発を容認するものでした。
当時のベース電力であった原発は、いつでも最高出力で運転しなけらばならず、夜間はそれだけでも余剰電力が生じ、昼の需要増に備えるため、安価な夜間電力としてオール電化が推進されていたようです。
それだけでは足らず、揚水型発電を行い昼の需要増に電池代わりとして使っていましたねぇ。
それを現野党の当時与党の泣き虫経産大臣閣下、電力不足に揚水型発電を使うなんて「アホ」な事を仰っていましたね。
あれから増えたのは、家屋の屋根に載せるヤツじゃない、発電所と云ってもいい大型の太陽光発電設備。
拙宅から見える日当たりが良さそうな山の斜面にも大きな黒いパネルが沢山増えるようになりました。
当地、フォッサマグナの縁にあたります。
そのため花崗岩質の土壌で磨かれた良質の水道水にも恵まれています。
しかし、反面大地震の危険性も多いとか。
気を付けましょう。
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